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心の回診

第八十五回

病棟を歩いていると、春の陽だまりのように心がほんわかあったかくなる時がある。
夫、妻、親、息子、娘のお見舞いに来て、本当は切なくなったり、不安になったり暗い心の筈なのに、長期の入院生活の中で 家族同士が仲良くなり、まるで親戚か同窓会の集まりのように和やかな空気に包まれている。そこには涙を忘れられる時間がゆったりと流れていて、共通の痛み を持った家族同士が支え合い、寄り添い合って、同じ時間に逢える事を楽しみにお見舞いに来ているようだ。
私も時々仲間に入れて頂いて、病棟の廊下である事を忘れて笑い声が弾ける。
先日の事、患者のM男さんが、動かない体をベットの上で必死で起こして、「俺、歩けるようになるかい?」と問う。「歩け る」と私は言い切った。「治る!と信じて、希望を持って頑張れば治るよ」「よかったあ」、M男さんが細い手を差し出した。私は強く握り返す。M男さんと別 れて廊下を歩きながら涙を我慢した。無責任な自分を責め嫌悪した。長びく入院生活の中で絶望しかけているM男さんを元気づけるためには、これしかなかっ た・・・と自分の心に言い訳をする。
頭が冴えていて、指一本自由に動かす事のできない状態はどれ程辛い事だろう。我が身に置き換えた所でそれはいっときの事。残念な事に私は患者さんを治して上げる事ができない。
私が医者だったら、まず二つの耳をダンボにして聴いて上げよう。それから「手当」の言葉通り、手を当てて苦しい所を楽にして上げたい。「痛い」「淋しい」「来てくれ」と言ってほしい。誰も好きで病気になる人はいないのだ。
では医者でない私にできる事は・・・?
『言魂(ことだま)』、希望の持てる言葉をかけて上げたい。魂のこもった言葉を言える人間でありたい。色々な事を考える秋です。
(医療法人中山会新札幌パウロ病院会長)