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心の回診

第一六二回

 考えて見ると、私は高校生の頃から胃が弱かった。学校での健康診断では、胸部に不思議な影があり、レントゲン写真で必ずひっかかった。原因が分らないまゝ大人になって、時々、予告なしの、表現しがたい胃の痛みが襲って来る事があった。何度かの検査の結果、「食道裂孔ヘルニヤ」と診断されて、病名がついた。
  今回の痛みは、予告なしに突然やって来た。胃袋を力いっぱいに絞り上げるような、耐え難い痛みだ。救急車でK病院に運ばれた。こうなると、自分の意思、希望などは全くなくて、私はまな板の鯉となっていた。 唯一、午後の回診のあと、院内を散歩する事だけが心が安まる楽しみな時間だった。病院の大型のテレビに写し出されるソチオリンピックを楽しむ余裕ができた。浅田真央ちゃんに涙を流し、髙橋選手、羽生選手の美しい滑りに拍手を送り、葛西選手の活躍には涙が溢れて感動した。
  でも私は今、暗いトンネルの中にいるかのように無口な女になっていた。個室で話す相手がいないから、無口になっているだけなのに、ネガティブになっている私…。健康が一番!健康は宝!と百も承知で、健康をあなどっていた私…。
  病室の窓から眺める景色は、見渡す限り、雪・雪・雪の、雪の原だ。「綺麗だなあ!!」と思った。ふと、気がついた。私が病人でなければ、只の雪でしかなかった筈だ。「綺麗」とは思わなかったかも知れない。
  病人になったおかげで、お粥が普通食になった時、嬉しかった。自力でトイレに行けた時、嬉しかった。病院の中を散歩できる事が、幸せだった。病室の窓辺に立って、雪の山を、「なんて美しい!!」と、感動できる自分に感謝した。
  病んでみて、気持ちが優しくなって、まわりの人達にも優しくなっている私がいた。
  お粥食が普通食になって、私は「いたゞきます」と、両の手を合わせてから、白い御飯を頂きました。生きているのではなく、私は生かせて頂いているのです。