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心の回診

第一一四回

昔、昔の話しです。私は釧路の高校卒業して、これと言った目標もなく、二年間短大に行かせてもらった。

父方の祖父母が東京の町田市と言う所に住んでいて、時々、おじいちゃんおばあちゃんを訪ねて顔を見せる事が進学するための父との約束だった。
小田急線の町田市から数駅離れて相模大野駅があり、相模女子大学、前身は帝国女子大学と言い名門校だったらしい。

私は大学の相模寮に入り青春を過ごした。
丁度、正田美智子さんの御成婚の年で、テレビにかじりついておばあちゃんと見たことが懐かしい。

その時の大学の寮二人とは、三羽烏として、福岡、新潟、札幌と離れているが、今も友情が続いている。
栄養士の免許と、小・中校の家庭科と保健の教師の免許を取得したが、免許を取得するためめ教育実習があって、中学一年生のクラスを担当させて頂いた。
初日、新米先生の私は緊張の余りお腹がピーピー下り、絶え間なくトイレに駆け込む有様だった。

いよいよ中1Bクラスの教壇に立った。120の黒い瞳が私を見つめていた。
「皆さん、釧路って知ってますか?」「しらなぁい!」ウン!?私はバスガイドに変身した。
「皆様、右を御覧下さいませ」すると、60人の生徒の顔が右を向く。

「右に見えますのは俳人石川啄木が働いていた釧路新聞社でございます。東海の小島の礎の白砂に…。皆様、バスは阿寒に到着 致しましべ先住民のアイヌの言葉で、ようこそこんにちわを、コポンニチワパ(無論、中山の造語)と言います。新米先生が生徒の心を掴んだ瞬間だった。その 時の山口君から手紙が来た。

『三月月を以って宮内庁管理部長職を退き、36年に及んだ略…先生(私のこと)の為せばなる、為さねばならぬ何事もの言葉を信じて、今日までやって来れました。心の回診ネットで読んでます』。
12歳だった山口君が定年退職かあーッ!!いやー!人生って楽しいんでないかい!?