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心の回診

第一一二回

最近、これ以上年を取りたくないと、真剣に思う時がある。でも、生きるという事は死に向かって生きているという事。一般の人達よりずっと身近かに死に向き合う仕事をしているのに、いや、死に向き合う仕事をしているからかも知れない。私は死ぬのが怖い。
理由はひとつ、家族と別れるのが辛いから…。

それで年の始めに真剣に考えた。「修子さんの人生の使命はなに?」って。
日頃、「自分の使命を果たす」とか言葉にしたり、文字に 書き留めたりしているが、ハテ?何だろう?私は、たまたまこの世に生まれて来たのではなく、両親の願い、希望のもとに生れて来た筈。尊い命を頂いた。愛情をいっぱい注いでもらって大きくなった。なのに、私の使命は「これだ!」と分からない。

如何に死ぬべきかとか、どのような人であったと言われたいのか、等と考えていたら、なんだか本当に泣きだしたくなってしまった。
読者の皆さん、私っておかしいでしょう?命根性が汚いと言われてもしょうがない。兎に角、死ぬのが怖いのです。

ある宗教書に、「人は、偶然この世に生れて来たのではなく、人生の目的と使命を持って、それを果たすために生れて来た」とあった。
でも、私は自分の使命が「これだ!」と分からない。
心の底から高まって来る疼きのようなもの、「これをやりとげたい」と思えるもの。此処に使命があるのかも知れない。
如何に死ぬべきかは永遠の課題で、どのような人であったと言われたいのか…なら答は出そうだ。何処にいるか見つけられないほどの小さい星でいい、キラッ!と小さく光る星屑でいい。

愛する子供達、そして、めんこい麗生ちゃん(孫)が、夜空を見上げて、「あッ!お母ちゃんだ!」「おーちゃん(私のこと)のおほしさまだよ!」と見つけてくれたら嬉しいな。
心の回診の読者の皆様、今年も拙い文章を書かせていただきます。宜しくお願い致します。