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エッセイ心の回診〜また明日ね〜


第四十八回

 私はどちらかと言うと父親っ子だったかも知れない。父は「一徹」と言う名前の通り生涯を頑固一徹に生きぬいた人だった。歯医者だった父は、釧路で小さな医院を開業し、膀胱癌で倒れた時には既に成す術がない状態だった。思い出す姿は背中を丸めて治療していた姿だ。行者ニンニクを食べた来た患者さんに「臭くてみれない」と言ったり、言う事を聞かない人には「バカ者!!」と怒ったりもした。それでも「先生」と慕われたのは生来の涙もろい優しい所を、患者さんに分かって頂いたからだろう。

 私の長男が6才の時、脳腫瘍が発見され手術の成功率は五分五分、失明は避けられないと宣告された。若かった夫は自分が医者である立場を忘れて一人の父親として冷静さを失なった。その時、「執刀医を信じて全てを委ねろ」と励ましてくれたのが父だった。その父が皆が寝静まった夜半に、「可哀想に」と孫を思い号泣していた姿が今も目に焼きついている。

 短大を卒業して進路で悩んでいた時、スチュワーデスの試験を受けようと思った。恐る恐る父に相談したら、「人間、死ぬ時は空の上も畳の上も同じだ。お前のやりたい事をやれ!」と言ってくれたのも父だった。

 新米スチュワーデスとして札幌、釧路間を飛んだ時、釧路空港を離陸までの束の間の時間、滑走路に降り立った私の目に飛び込んで来たのが父の姿だった。朝早くから夜遅くまで仕事人間の父が診察室を脱け出して、娘の制服姿を見たい一心で空港の柵にしがみついていたのだ。その顔はクシャクシャの歪んで泣いていた。

 こうして父の事を書いていると涙が出て来て仕方がない。生きていたら93才の父・・・パウロ病院の患者さんに、そしてケアハウス桜の入居者の同じ年代の方に父を重ねて見ている私がいる。今だったら親孝行できたのにね、お父さん。親孝行したい時には親はなしって本当だね、お父さん。私とっても逢いたいよ。

(医療法人中山会新札幌パウロ病院会長)
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