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心の回診

第四十九回

私が夫と結婚したのは22歳の時だった。夫は一回り上だったから、今思うと何と若くして結婚したのだ ろうと思う。若さ故の一途さと言うのか運命の赤い糸に素直に従った。自然界に季節の移ろいがある様に、人の一生にも春から冬までのライフサイクルがある。 それぞれの季節に相応しい花が咲く様に人もまた、神様した分からないその時々に相応しい生き方があるのだ。

人生の夏の時代の私は、木々が逞しく成長して行く様に家庭の中に深く根を付けて、夫と3人の子供の為に生きていた。愛する息子が失明したり耐え難い悲しみも味わったけれど、いつも前を向いて生きて行けたのは、夫が両手でしっかり私を支えてくれたからだ。

娘に好きな男性(ひと)が現れた時、夫の娘への態度は頑なまでに、まるでベルリンの壁の様に厚く強固なものだった。しかしそれが思いの他あっけなく崩れ 落ちたのだ。彼に会った初対面のその日、その場で「結婚式は早いがいいべ。一緒にご飯を食べて行け」と誘い、素直な未来のお婿さんはその夜からずっと一緒 にご飯を食べる家族になった。一目会って、「彼なら大丈夫」と即断した夫の眼通力は素晴らしかったと思う。夫はよく言っていたのだ。一流と言われる人程息 抜きも上手い。患者が後ろに100人待っていて超多忙でも手際よくみて、自分を頼ってきた患者の診療に全力をあげそれでいて手を抜かない。

夫はきっとあの時医者の目で彼を見、彼なら超多忙な生活ができる人間になれると思ったのだろう。あの時は気付かなかったが、私達夫婦が一番輝いて幸せだった時代はこの夏の時代だったのだ。

人生の秋は実りの秋であってほしいと誰もが願う。しかし夫は収穫の喜びを知らずに、超多忙なままに 逝ってしまった。「葬式無用。生者は死者の為に煩わされるべからず」なんて恰好のいい言葉を残して…。病院の中を歩いていると、10年以上にもなるのに何 処からか白衣姿の夫の咳が「コホン」と聞えた様な気がして、振り返りたくなる時がある。

(医療法人中山会新札幌パウロ病院会長)