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心の回診

第四十ニ回

春の訪れを予感させる昼下がり、こんなに電話のベルが鳴らない日も珍しい。チャンスとばか りに私は病棟回りを始めた。三々五々、ホールに廊下に思い思いの姿で車椅子の患者さんがいる。パウロ病院自慢の光景、ベットごとホールに移動して来ている 患者さんもいる。初めてこの光景を見た人が、「パウロ病院は病室が足りないのですか!?」と目を丸くしたと言う笑い話があるが、患者さんの一日は長くて淋 しい。大切な人生の今日という一日を、ただ、病室で天井を見て過ごすなんて勿体ない。車椅子に座ることが困難ならベットごと出してあげましょうと言う訳 で、今日も沢山の患者さんのベットが並んでいた。ホールの大きな窓から眺める雪解けの景色は、まるでパノラマ写真の様に美しい。「青い空が見えますか?」 台車がガタガタ通る音だって決して雑音じゃない。立派に生活の音だ。スタッフと患者さんの笑い声。テレビからは天童よしみの歌が聴こえている。これが”今 日”を生きているということだ。4病棟のミツさんが、不自由な手で私の顔を撫で頬ずりしてきた。その愛らしさにたまらないほど私は幸せ・・・。1病棟のキ クエさんの検査の結果が”異常なし”だった。結果を待つ間の不安と、不安が解消された安堵でキクエさんは可哀相に疲れて寝ていた。私達は手を握り合って 「良かった!!」と喜び合う。
7病棟のホールはまるでパウロ病院の銀座通り。今日も車椅子の患者さんで満員御礼で賑わっていた。93才の正盛さんが大きな声で「貴女は未亡人なのに偉 い!」とほめてくれた。私も金魚の様に大きな口と声で「ありがとう!」とお礼を言う。○男さんが「おかあさん!」「おかあさん!」と叫んでいる。どんなに 看護師が優しくても奥さんにはかなわないのだよなあ。安井さんの病室にお邪魔したら大歓迎してくれた。「奥さんとは恋愛結婚ですか?」側でニコニコ笑って いる奥さんを前にして安井さんは少年の様に顔を赤らめて大照れだ。来週には入れ歯が入るとのこと。「更に美男子になった安井さんとお会いするのを楽しみに しています」「アッハッハハハ」私達の笑い声が春の陽だまりの中に弾けた。
私が患者さんに向き合う時に心懸けている事は、腰を低く落として目線の高さが同じである事、しっかり耳を傾けている事、患者さんの目を見て手を握っている 事、そして言葉が出るまでゆっくり待つ事だ。さあ、春が一歩先に来ている。患者さんからいいもの一杯頂いた幸せな一日だった。

(医療法人中山会新札幌パウロ病院会長)