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心の回診

第六十一回

 私は小学生の頃から詩や作文を書くことが好きだった。中学生になって出鱈目な小説を書き始めて、そのノートがクラスメートの間を回覧された。友達から「続きはどうなるの?」と楽しみにされた。小説の題材は大抵は母物が多く、薄幸の少女が継母に意地目られて死んでいくお涙物・・・。国語の先生の「吉井(旧姓)は小説家になれるかも知れない」の言葉を真に受けて、真剣に小説家になりたいと思っていた。ある日、私の小説を読んだ母が、「お前の書くものはどうしてこんなに悲しい物語ばかりなのだ」と烈火のごとく怒った。

 今思えば、多感な反抗期真っ只中の私は、ことごとく母に反抗して、父の方が好きだったような気がする。

 やがて私は高校に進学するために中学3年生で親元を離れて、釧路の祖父母の家に預けられた。離れてみて初めて親の有り難みを知り、淋しくて毎晩布団の中で声を殺して泣いた。母親が作ってくれた御飯が恋しくて、帰りたくて仕方がなかった。

 社交的な母は、ボーリングにゴルフ、卓球に水泳、ダンスにカラオケ、車も運転した。私はと言えば、免許証は更新のみ、せっかく通い始めた水泳も中途半端、生きる事に積極的で前向きだった母にはとてもかなわない。

 85歳になったその母が、時々里帰りをする私の手を痛い程握って、やっとこさ歩く。

 妹からの携帯電話が鳴った。嫌な予感がした。案の定「お母さんが食べ物を受けつけない。水分も摂らないから脱水症状かも知れない。」救急車で母は入院した。点滴の管を抜き導尿を拒否して看護師さんに迷惑かけているようだ。オムツを嫌がる母は妹に「オムツをした者でなければ分からない!」と叫んだそうだ。パウロ病院の患者さんの叫びに聞こえた。『お母さん、心の回診を送るから、また私の事を書いている!!と怒ってよ。きっとだよ』
(医療法人中山会新札幌パウロ病院会長)