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心の回診

第五十三回

日曜日の朝、昨夜から降り積もった雪をこいで、ミサに与(あず)るために教会に行った。私と息子の大 きな足跡が仲よくついて来る。98歳の浅沼神父様の御ミサは、その存在そのものが厳かで心が引き締まる。張りのある声は小さな体のどこから出て来るのだろ うか。繰り返し語る福音の言葉は、今日、神父様が私達に一番伝えたい言葉なのだ。

『あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気が無くなれば、その塩は何によって塩味がつけられよ う。もはや何の役にも立たず外に捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。マタイ5.13-14』神父様はおっしゃった。 「日常生活の中で必要な物になりなさい。塩は目立ちすぎても良くない。身を隠しながら本物の味を出す。この加減が大切で、間がぬけた味にもなるし、料理の 味が引き締まり生きてくる。誰かの心を明るくしているか?役に立っているか?世の中の光、明かりとなりなさい…。」私はいつの間にか、幼子のようにな素直 な心になっていて、神父様の説教の一言一言に「ハイ」と心の中で返事をしていた。。

考えて見れば、減塩、減塩と世の中少しおかしいのだ。人間の体って汗も涙も血も鼻水だって塩っぱい。何も彼も減塩されて料理の味が今一つ間がぬけている。身体が萎えている時、熱々の味噌汁に「ああ、なんて美味しい!」と体中の細胞が元気に動き出すではないか。

「塩梅」とか「塩加減」とか、日本語には本当に素晴らしい言葉がある。余り目立ち過ぎて塩辛いのも 良くないし、ほどほどのピタリと決まった味、料理に欠かせない「塩」のような存在になりたいものだ。そして私という小さな人間が少しでも誰かの役に立ち、 誰かの心を明るくできるような生き方をしたいと思った。明日の朝ご飯は心をこめて、塩味がピタリと決まったおにぎりを家族に作ろう。どうやら雪は止んだよ うだ…。

(医療法人中山会新札幌パウロ病院会長)