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心の回診

第九十八回

嬉しい事にパウロ病院を母体に新しい施設がドンドン増えて来た。その分私の体もドンドン忙しくなって行く。そして此の度、特老マリア園が開設され た。毎日、パウロだ、モニカだ、マリアだと走り回っていると、施設名は自分が名付け親なのに、混乱を起こし始めている。目的のマリア園の名前に行き着くま でに「エッ?モニカ?パウロ?マリア?」まして入居者の方達の名前、職員の名前を覚えるのは至難の技だ。
私は入院されている患者さんの名前をよく覚えているのが自慢だった。「よく覚えているのが自慢だった。「よく覚えていますね」と感心される。しかし此処に来て「モー駄目だ」と宣言したくはないが「無理です」と白旗をあげたい心境になって来ている。
40代、50代の記憶の脳味噌は新鮮だった。しかし記憶力の衰えを感じる昨今、入院患者さん、入居者 の方達が以前にも増して愛おしくてならない。
会話を通じて思い出せない瞬間、辻褄の合わない瞬間、ふと戸惑いの表情を見せる方と出会う。「間違 っていないかい?」そんな目で私を見ると、抱きしめたくなるのだ。
此の間もこんな事があった。施設でのお昼時、S男さん(88)が自分の目の前に配膳された昼食を「これ、食べていいのか い?」と不安気に聞いた。「S男さんの御飯ですよ、ごゆっくりどうぞ」S男さんに安堵の表情が広がって行った。記憶の糸が混乱する事は、この上なく不安に 違いない。
たまたまその日、娘さんが面会に来られて、昼食時のエピソードを伝える事が出来た。今後、この様な事が起きるかも知れな い事、決してお父さんを責めないで良い所を認めてほめてあげて下さいとお願いした。翌日、S男さんが「昨日、娘が来てね、部屋が片付いている、父さん偉 い!ってほめてくれたよ」無口なS男さんの丸い背中をいっぱい撫でてあげた。よかったねーみんなが行く道です。遅いか早いかだけです―