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心の回診

第一二八回

突然訪ねてみえられたM子さんが、思いつめたような表情でホールの椅子に座っていました。二年前にお母さんの入院相談でお会いし、事情はよく覚えていました。上にお兄さん、次にお姉さん、M子さんは末子です。

お父さんが亡くなってからお母さんが骨折を機に、独りでの生活が困難になりました。M子さんが26歳の時でした。お母さんを独りにしてはおけない。誰かが世話をしなければと、その時はまだ、お母さんの事を気遣う優しさが、それぞれの子供に残っていました。

しかし、さて、誰がお母さんと同居して面倒を見るかとなった時に、長男と長女は家庭があるので無理、「M子は若いし、家族もいない。適任だ」と兄・姉に説得されました。
兄嫁が側から「協力するから」と約束してくれました。
その頃のM子さんは仕事が面白くて、交際する異性の友達もでき、一番幸せな時だったと思います。

でも、兄も姉も同居できないのであれば自分しかいないと心を決め、同居を決めました。
その時「土地つきのお母さんの家はM子のものだ」と約束してくれました。
当初は、M子さんが働いている日中は、お母さんは自分の事ができていました。晩御飯を作って待っていてくれました。

しかし、年月と共にお母さんの体力は落ち認知症が進みました。
M子さんは潔く仕事を辞め、介護中心の生活に切り替えて、立派にお母さんの最期を看取りました。

お葬式が終わって、当然自分の家と思っていたお母さん名義の家を処分して兄弟で分けると言われました。話が違うと主張しても覚えがない。挙句の果て「出鱈目な事を言うな」と否定されました。

M子さんの涙を見ながら、苦労した人が、親孝行をした本当に優しい人が、最後に報われるためにも、日々の介護日記、日常、家族で交わした約束は、絶対記録に残すべきだと・・・その大切さを痛感していました。